非行少女ヨーコ,サイケデリック,60年代,ロック,名盤" /> 非行少女ヨーコ([映画・美術・本]邦画)の回。" />
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"僕は天使ぢゃないよ"と同時上映だったのは、この映画。
非行少女ヨーコ (1966)
監督:降旗康男
(のっけからの荒木一郎の登場に思わず歓声を上げてしまうが、これは私的な喜び。)
勝気な家出少女ヨーコ(緑魔子)が新宿を徘徊、男に弄ばれながらも”私は負けない!”と闘志は不屈なのだが、ひたすらに堕ちていく青春もの。
アウトローな若者たちによるジャズ喫茶での連日の無法パーティー。睡眠薬遊びによる酩酊感、行く着く果てのバッドトリップ。
このモチーフは、どこかで観たことあるぞ。家出少女が、花のサンフランシスコでヒッピー・コミューンに参加し、仲間のバッド・トリップによる悲劇などを乗り越えていくおサイケ・ムービー”青春の嵐 PSYCH-OUT”だ。
特にボヤけた映像での酩酊感演出と、やけに力の入ったバッド・トリップ再現(ホラー風味)が共通点。
この映画、てっきりPSYCH-OUTの後追いかと思いきや、なんと公開年は非行少女のほうが先。
(サイケ好きの私は、ついつい60年代の作品をサイケと関連付けて鑑賞してしまうが、非行少女ヨーコでの風俗は50年代後半~のアイビー・ファッションに、ボーリングでコカコーラがお洒落!という、確かにサイケブームより数年前の景色)
微妙なズレはあるものの、この時代のこういう偶発的な共時性はオモチロイ。
しかし、LSDなら兎も角、睡眠薬遊びでバッドトリップなど有り得たのだろうか? と思い、調べたところ1960年前後に睡眠薬遊びによる少女の自殺騒動、社会問題となったとの由。なるほど、バッドトリップがやたらとホラー風味なのは、一応は警鐘も兼ねていたのだろうか(建前だろうけど)。
ラストが意味不明に前向きなのもそのためかもしれんが、私には正直、理解不能でした。
だって、、(以下、ネタばれ含む)
怒れる少女と、親のすねかじりな駄目男、羽目を外した二人、再生のためにとった手段は、「やりたいことが見つからないけど、とりあえず映画で観たお洒落なサントロペへ逃げよう!全てをリセットして踏み出せば新しい何かが待ってるはずだよ!」と反省ゼロ。親からくすねた30万円(当時の金額で!)での国外脱出。当の親は、”立派になりやがって”と泪ぐみながらその旅立ちに手を振るのです。
・・これで万事解決とする意味が分からない。モンスターピアレントの兆候は、40年前に始まっていたのだ。目の覚めるようなファンタジー映画。