サイケデリック,60年代,ロック,名盤" /> [サイケ]実験・ミニマルの名盤、作品紹介。" />
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CANの中心メンバー、ベーシストにしてプロデューサー的面を担ったホルガー・シューカイ(チューカイ?)のソロ処女作。
Holger Czukay
Canaxis (1969)
CANを聴き始めたころ、CAN作品を一気に揃えるのと一緒にこの作品を手にしましたが、当時は"SoundTracks"の乾いたロッキンサイケ感や、ゆるゆるダウナーなダモ鈴木の"TagoMago"や、ムーニーのアジテーション炸裂"Delay1968"に盛り上がっていて、ほとんど聴いていない。
30を超えた頃から、年を喰ったせいか、余りヒトが聴かないようなコンテンポラリーなのも楽しめるようになり、この如何にも現代音楽っぽいジャケットの作品も好んで聴くようになっていました。
つまりは、そんな感じの音です。CANの原点ではあるんだろうけど、全てのCAN好きにお奨めできるわけではなく、タゴマゴの2枚目や、アンリミテッド・エディッション含めた後期のも好きだぜ、って方には良いかもしれませんが、ダモ在席時までのCANを大きく評価する方には、お金と時間に余裕があればどうぞ、といったところでしょうか。
CANのデビュー作"モンスター・ムーヴィー"と同じ日に、限定500枚でリリースされていますが、方や即メジャーでの評価を得たのに対して、こちらは十年以上コレクターズアイテム化していたということからも、CANが持つ即効性の高いポピュラリティを持ち合わせていないことが判るかと思います。
ただ、大衆受けするかは別として、とても魅力的な作品です。
”グローバルな音楽をつくりたかった”というシューカイの意図が達成されたかどうかは分かりませんが、アジアの民族音(雅楽含む)が織り込まれた、静かに反復するエレクトロニクスな響きが、堪らない静寂さと浮遊感を与えてくれます。
ホルガー・シューカイの作品では、1979年のCAN脱退後のソロ2作目"ムーヴィーズ"が高く評価されている気がしますが、個人的にはコチラのほうがずっと胸に響きます。
Other
ちぎれちぎれに交じり合う2つの光景(大自然の夜明けと宇宙)が、髭親父を描きだす、サイケデリックなイラスト。中央の大自然における水面上、後背位でまぐわう骸骨ペアが互いに握り締めるのは、異界から伸びるプラグ。雌は己の額に突き刺し、雄は片手に構えている。差し込んだときが絶頂か?
Cromagnon
Orgasm (1969)
クロマニヨンというバンドの、オルガスムというアルバム。(私が手にしたCD再発版はモノトーンですが、オリジナルはカラー?)
異形のJAZZレーベルESPからの作品。
”マニア大絶賛のサイケ盤”とは、レコ屋POPの常套句。眉唾で購入しました。(いつも眉唾ですけど!)

一聴してイメージしたのは、マジカルパワーマコ1stのカオスティックな共同体。いや、それよりも、高円寺界隈で屯するアングラたちが集って、勢いで録音してみましたよ!というノリだろうか?(実際、即興的録音だったらしい。)
嫌いじゃないですが、A CID Symphonyを聴いたときにも思ったが、一体、どの程度の需要があれば、こういう作品はCD化されるのでしょうか?尽きない疑問
サイケデリック・ミュージックの魅力の一つは、そのマイノリティ、カルト度合い、アングラ、なのに、普通に良い曲もあって、それが密かな自慢。マジョリティしか聴かない貴方、損してない?悶絶オルガンサイケのAfterglowや、ガレージポップで漂う浮遊感のFaine Jade、透明感あふれるThe New Tweedy Bros!など、聴いてみればいいのに、とあくまで心の中のみで呟き、個人で楽しむマニアは多いことだろう。
私もそんなサイケ・フアンの一人ですが、中には内心ですらもオススメできない類の音があります。
このシリーズはその典型。
John Cale
Inside The Dream Syndicate (2000)
ヴェルヴェッツのジョン・ケイルにより60年代末に録音された実験音楽集。2000年にCD3枚シリーズで発掘されています。(頑張って揃えたら2006年にBOX発売されました。漆黒の装丁でカッコいいらしいです。)
一言で言えばノイズ。1曲1曲がミニマル、とりとめがない。テリー・ライリーの"In C"を無機質と記しましたが、こちらはより無惨。
これは、まあ、好きなヒトは好きでしょうが、マイノリティ、というかアングラと後ろ指さされても仕方が無い、そんな類の音。
なので、決してオススメしませんが、これが嵌ると癒されます。
最近、仕事中はこれを聴く日々なのですが、極度に集中できるか、極端に睡魔に襲われるかのどちらかで、つまり、それは決して退屈なのではなくて、イージーリスニング、ヒーリングミュージックに属する音だといえないでしょうか?
テリー・ライリーのミニマルな傑作”In C”と必ずといっていいほど、合わせて紹介されるのがこの作品。
Terry Riley
A Rainbow In Curved Air (1968)
サイケ嗜好者にはこちらのほうが馴染み深いはず。ストイックな"In C"よりも表情多彩に。
深淵に誘う"In C"をサイケと評することに躊躇した私ですが、こちらは”サイケてるなぁ”としみじみとまったりしてしまう。朝焼けに聴きたい。
Church of Anthraxに囚われた方はこちらにも足を踏み入れてみましょう。
ジャケットの禿頭笑顔にニンマリと微笑み返す自分を発見できます。
(最近のCDジャケは、顔ジャケではなくなってしまっていますが。)
テリー・ライリーのことは、昨年、ジョン・ケイルとの共同作品を手にしてからずっと気になっていた。 レコ屋の店頭にて、”サイケデリックな傑作が再発”とのPOPに惹かれて購入したのは、現代音楽の古典。
Terry Riley
In C (1964)
一聴して思ったのは、
”うん、これはサイケじゃないな。”
極めてミニマル。果てることの無い単調さ。小刻みな音、音、音。ミニマルミュージックの大傑作らしい。 これでトリップは可能だろう。だが、サイケデリックの形容は適しているのか?
スピーカーの前で茫洋とたたずんでいると、私のマイノリティな嗜好に極めて寛容な家内から、”コレ、しんどいから止めて”、STOPがかかってしまう。
この単調すぎる反復こそがミニマルたる所以だろうけど、解釈によっては無機質で神経質なノイズ。好きでない人には精神的圧迫になるかも。確かにキツイいよね。ごめんなさい。
私のイメージするサイケ・ミュージックには、ある程度の装飾、チープさ、大仰だけれども五月蠅くないような、そんなテイストが含まれている気がする。ブルースハークのElectric Luciferや、Afterglowなどがそう。
うん、これはサイケじゃないな。
サイケではない気がしますが、自分でも意外なほど愛聴しています。
利用シーンは、一人での街への外出、誰とも言葉を交わさない休日歩行。大勢の他者の中で、恐ろしいほど沈み込めます。